夢のことを書く前に一つ、今の世の中に提案したいことがある。
まず学校教育では、人間として生きていく上で、本当に大切なことなどほとんどまったくといっていいほど教えもせず、ただひたすら進学のための勉強ばかりで、大学卒業したら即就職で、それも自分が本当にやりたい仕事、生きがい・働き甲斐を持てる、あるいは言い方を変えれば胸を張って働くことのできるような仕事でなく、ただ給料がいいとか、楽だとか、世間体がいいとかいった理由で就職する人間がほとんどのように思うわけで、そのままただなんとなく、人生の一番充実してる時期を仕事仕事とこき使われて(あるいは公務員の一部のように、ただのほほんと過ごし)、やがて定年を迎えて、若い頃のようには身体も動かなくなってから、さて何をするか・・・と考えた末結局たいしたこともできず、老後を迎える・・・
ほとんどの人は、大なり小なりそういった感じの人生なんじゃないかと思います。
せっかくこの世に生まれてきて、たった一度っきりの人生、そんなことでいいのか?
「金も、名誉も、地位も要らなきゃ、生きることはこんなにも楽しいのに・・」 ードラマ・俺たちの旅より
一番印象に残ってるワンシーンだけ・・
もっとも、やりたいことがあってもそれをやるだけのたっぷりした時間が、会社勤めでは取れないこともある。
ただひたすら働いて、されで生活は楽にならず、やりたいこともできない。
世の中、どこかおかしいんじゃないかと考えたことはないですか?
ある方のサイトにこんなこと書いてあるとこありました。
今みたいに、あくせく働かなくても、みんな豊かに暮らしていた時代があったことを思い出しましょう。
なんで、こんなに働いているのに、生活が苦しいのか、ちょっと立ち止まって考えてみませんか?
まったく同感です!
まぁ結局のところ、庶民は働く奴隷と化されてて、一握りの富裕層の人間のための世の中になってしまってるということですが・・・
そして、どこの政党が政権を取ったところで、その富裕層の人間がトップになってる大企業から政治献金という名のワイロを渡して、さらに富裕層にとって楽で住みよい社会になるよう政治家に要請するわけです。
そんな社会に出て、やりたくもない仕事を嫌々やって、上からは筋の通らないことを押し付けられたり、ほとんどの会社というのは程度の差こそあれ必ずといっていいほどどこかしら良心の咎める部分があるわけで、そんな仕事やってて働き甲斐・生き甲斐など持てるはずないわけで、近頃、ニートやフリーターなどといった若者が増えてきたり、あるいは暴走族とか、さらには非行に走ったり、常識で考えられない異常な殺人とか犯罪が起こるのも、元はといえばそういう世の中に対する反発心からはじまったんじゃないかという気がしてる次第です。
これを根本的に変えることは、今のこんな世の中ではほとんど不可能と思われ、せめて大学等の最終の学校を卒業して、就職するまでの間に一年間ほど自由期間を与えるようなシステムを作ってみてはどうかな?
その間に、旅先でいろんなアルバイトなど経験しながら全国を一人旅してみれば、すばらしい人生勉強できるし、やりたい仕事も見つかるはず!
旅・旅行にしても、昔は泊まった宿で同宿の人たちと交流のできるユースホステルとか民宿とかを利用する若者が多かったけど、近頃はビジネスホテルのような閉じこもり空間に泊まる人がほとんどで、そんな旅してて本当の旅の楽しさの何分の一かしか味わえないんじゃないかと思います。
といったところで、私の夢の方の話にうつります。
夢・『俺たちの村』
とにかく田舎の方で広~い土地を買って、畑などしながら半自給自足の生活をしつつ、もし同じような志を持つ仲間が集まれば一つの村のような感じにし、いわゆる百姓関係以外にも、いろんな職人タイプの人たちとかが集まれば、地産地消、ほとんどの物は村内でまかなえるようになるわけで、もちろん食料品に関しては極力添加物など使わないナチュラルな安心して食べられる物。
さらには、一泊三食付で千円ほどの民宿のようなものをやり、一日千円すら払う余裕のないような人には、ちょっと畑仕事等手伝ってもらって無料でもいいわけで、前述のような今の世の中に嫌気のさしてるような人たちも受け入れ、今の社会のような本来不必要なわずらわしさのない(逆に人間として最も大事な道徳(モラル)・義理・人情等は持ってもらう)、本当の意味での幸せ・楽しさを感じられるような村を皆で作っていきたい・・・
さらには、一箇所だけでなく、全国何箇所かに同様の村ができれば、それぞれと連携して、希望者はしばらくそっちで過ごすようなこともできるようにするとか。
土地買う資金のない人には、(私自身に十二分な資金できれば)こっちで用意してあげることもできる。
(田舎の方であれば、千坪ぐらい買ったとしてもそうたいした金額じゃないw)
建物は、村内の大工さんを中心に皆が手伝って自分らで建てるようにすれば、たいした金も必要ない。
お金は、日本国通貨とは別に、地域通貨のようなものにしてもいい。
田舎だけだと何かと便利悪いこともあるかと思うので、比較的街中に近いあたりに出張所のような物も作っておく。
科学が発達して、とにかく便利にはなったけど、果たして人の心は昔と比べてどっちが幸せ度高かったでしょう?
今の発達した時代に慣れ切ってしまったから、それがなければ不自由に感じるけど、元々そんなののなかった時代にはなんの不満もなく過ごしてたはず!
たとえば、大地震等あって共同で避難生活をしたりすれば、金持ちも貧乏人も関係なく、皆同じように作業をし、同じ(質素な)ご飯を食べ・・・・
助け合って、結構楽しく和気藹々とやってたんじゃないでしょうか?
『我唯足知』(知足)
「われ、ただ 足るを知る」と読み、「知足の者は貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し・・」といった意味です。
「足ることを知る」は物質的な質素、倹約のすすめではありません。
人という生き物はとにかく欲求不満に陥りやすいものです。満足するということの本当の意味を知っている人は、自分自身を知っている人なのです。飽食の時代にあり、求めれば何もが手に入る時代の我々は、「知足」の心を忘れがちになっているのではないでしょうか。
「多欲の人は利を求むること多きが故に苦悩もまた多し・・」と言います。
常に足ることを知る人は苦悩が少ないのです。
もうこれだけで十分、こんなにあったらもったいない、そういえる人はいつも心が安らかで、心の中がほのぼの、しみじみとしています。
足るを知る人の顔はやわらかく、優しく見えます。
人の心を和ます顔になります。
そして足るを知る人は、人に与える喜びを知っています。
(この部分は、コチラのサイトから)
目の前にコップ半分の水があった時、それを多いと思うか、それとも少ないと思うか?
人によって考え方はまちまちで、上から見ればとても少なく見えるが、下から見れば、一杯入っているように見えるはず。
心の状態の良し悪しによって、事物に対する見え方は全く異なってくるもの・・・
老子曰く、
「最大の罪悪は欲望が多すぎることであり、最大の災いは足るを知らないことであり、最大の過失は欲張りで満足することがないということだ。ゆえに、足るを知るということが分かっている人は、生きていて永遠に楽しいのである」
(こっちは、看中国ネットから)